大判例

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高松高等裁判所 昭和26年(う)165号 判決 1952年10月07日

控訴人 被告人 岩坂義男

弁護人 梅田鶴吉

検察官 大北正顕関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役弐年に処する。

押収に係るチユーブ入猫入らず(刑第五号証)及び村田式猟銃一挺(刑第八号証)はこれを没収する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人梅田鶴吉の控訴趣意は別紙記載の通りである。

控訴趣意第一点について。

論旨は原審が弁護人のなした鑑定の請求を却下したことを非難し原判示第一の行為が不能犯であることを主張する。仍て原審各公判調書を調査するに原審第一回公判において弁護人は(イ)米麦飯五合位に被告人が使用したと同量の猫入ラズを混入した場合如何なる化学的反応を生ずるか(ロ)その混入量が致死量に達するかどうか(ハ)若し致死量に達するとしても猫入ラズを混入したことを知悉せずに食用に供する虞があるかどうか等の諸点につき鑑定の請求をしたところ原審裁判所は第二回公判において右請求を却下したこと並に弁護人は再開後の原審第四回公判において更に右(ハ)の点につき鑑定の請求をしたところ原審裁判所は第五回公判において右請求を却下したこといずれも所論の通りである。しかし証拠調の請求を採用すると否とは裁判所の裁量に属するところであり、且つ本件においては原審が取調べた各証拠殊に本田文男作成の鑑識結果報告書(記録第四八丁)検察官作成に係る岸上輝政、岸上シゲ子の各供述調書及び司法警察員作成に係る被告人の昭和二十五年六月二十七日附第一回供述調書等に徴すれば被告人が岸上輝政方の飯釜に投入した猫入ラズの分量、致死量との関係及び猫入ラズ投入後右飯釜内の米麦飯が如何なる状態を呈していたか等の諸点を充分窺い得るから原審が弁護人の前記各鑑定申請を必要がないものと認めて却下したことを以て必ずしも不当であるとはいえない。而して右列挙の各証拠に徴すれば被告人が本件米麦飯(約六、七合)に投入した猫入ラズの量は約五瓦と認められること(前掲鑑識結果報告書参照、仮に投入量が五瓦以上であつたとしても所論の如く二十五瓦であるとは認められない。)及び岸上シゲ子が当日午後七時頃帰宅して本件飯釜の布を取つたところ鼻にきつく感ずる嫌な臭いがし、よく中を見ていると湯気の様な白い煙が三ケ所程から出ていて二ケ所程少し赤味をしたところがあつたため釜の中の飯を食用に供することができなかつた事実を認め得るけれども、凡そ不能犯とは行為の性質上結果発生の危険を絶対に不能ならしめるものを指すと解すべきであり(最高裁判所昭和二五年(れ)第八五八号同年八月三一日判決参照)、本件の場合においては本件釜の中の飯が前記の如く強い臭気を放ち且つよく観察すれば白煙が三筋程立つていて人がこれを食べる虞れは少いとしても何人もこれを食することは絶対にないと断定することはできず、被告人の本件行為が絶対に死の結果発生の危険を有しないものであるとは到底いえない(最高裁判所昭和二三年(れ)第一二五一号昭和二四年一月二〇日、同昭和二五年(あ)第二八八六号昭和二六年七月一七日各判決参照)。本件記録並に原審が取調べた各証拠を検討し論旨の主張する諸点を考慮に容れても被告人が岸上輝政方家族殺害の目的で同家の飯釜の中の米麦飯に猫入ラズを相当量混入した本件行為が所謂不能犯であるとは見られず、また原審が弁護人の前記鑑定の請求を却下したからといつて原審に審理不尽または訴訟手続における法令の違背があるとはいえない。従つて論旨は採用できない。

次に当裁判所が職権で原判決の法律の適用を検討するに、原判決は殺人未遂の点につき刑法第四十三条本文第六十八条第三号により未遂減軽をした上同法第二十九条第二項第六十八条第三号により更に心神耗弱による法律上の減軽をしていること明かである。しかし法律により刑を減軽すべき原由が数個存する場合であつても法律上の減軽は一回しかなし得ないこと刑法第六十八条の規定に徴し明瞭であつて、殺人未遂罪の刑につき累ねて法律上の減軽をした上併合罪の加重をした原判決は法令の適用を誤つたものと謂わなければならない。而して右は量刑の範囲に影響を及ぼし判決に影響を及ぼす法令適用の誤であるから原判決はこの点において破棄を免れない。

仍て量刑不当の論旨に対する判断をしないで刑事訴訟法第三百八十条第三百九十七条により原判決はこれを破棄し、同法第四百条但書の規定に従い当裁判所において自判することとする。

罪となるべき事実及びこれを認める証拠は原判決と同一である。

(法令の適用)

殺人未遂の所為につき刑法第二百三条第百九十九条第五十四条第一項前段第十条(岸上輝政に対する殺人未遂罪の刑に従い所定刑中有期懲役刑選択)第四十三条本文第三十九条第二項第六十八条第三号。

銃砲不法所持の所為につき銃砲等所持禁止令第一条第二条(懲役刑選択)銃砲等所持禁止令施行規則第一条第一号銃砲刀剣類等所持取締令附則第三項ボツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く警察関係命令の措置に関する法律。

刑法第四十五条前段第四十七条本文及び但書第十条(重い殺人未遂罪の刑に併合罪加重)

刑法第十九条第一項第二号(猫入ラズにつき)第一号(猟銃につき)第二項。

刑事訴訟法第百八十一条。

尚弁護人は本件につき刑の執行猶予が相当であると主張するにつき考察するに被告人は大東亜戦争に応召しビルマに転戦中原判示の如き戦傷(右上膊、右肩胛部貫通銃創、左頭頂部擦過銃創等)を受けたため復員後も仕事が意に任せず且つ気分も勝れず自然短気となり右戦傷が本件犯行の遠因をなしたとも見られることは同情すべき余地があるけれども、被告人は些細な事から近隣に住む岸上輝政の妻シゲ子に対し遺恨を懐き岸上一家五人の殺害を企て猫入らずを購入した上原判決認定の如く右輝政方の飯釜にこれを投入して同家家族の毒殺を図つた所為は充分責むべきであり、幸い異様な臭気のため右釜の中の飯は食用に供されなかつたとはいえ被告人の行為は貴重な人命を無視した甚だ危険な行為であつて被告人は相当の罪責を免れることはできない。被告人の精神状態その他記録上窺える諸般の情状を充分考慮に容れても本件につき刑の執行を猶予するには妥当でない。

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 三田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人梅田鶴吉の控訴趣意

第一点原判決は被告人に有罪の宣告をするにつき判決の結果に重大な影響を及ぼすべき訴訟手続上の違反があるので此の点に於て原判決は破棄せらるべきである。即ち原審第一回公判期日に於て弁護人は(一)米麦飯五合位に本件に於て被告人が使用したと同量のチユーブ入猫イラズを混入した場合如何なる化学的反応を生ずるか(一)若し致死量に達するとしても猫イラズを混入した事を知悉せず食用に供する虞があるかどうかの各点について鑑定の請求をした。之れに対し原裁判所は第二回公判期日に於て右弁護人の請求を却下した。弁護人は第三回公判期日に於ける弁論として本件猫イラズを飯中に混入したのは釜の蓋を取り除くと悪臭が鼻をつき白煙を出し且つ青色の燐光さへ放つて居り人をして到底食用し得ない状態にあつたものである事実を説明し状態又は手段の不能犯である旨を主張して居る。然して弁護人は再開後の公判期日に於て書面を以つて其の立証せんとする事実を明確に示し被告人の犯行当時に於ける精神鑑定と共に前回申請したと同様本件飯中に入れた猫イラズは三〇瓦入のチユーブの内より本件に使用した残りが領置されて居る部分であるので三〇瓦より現在残量を引いた残りの分量を五合位の飯中に混入した場合は其の事情を知らない何人と雖も凡そ人が之を食用に供する事は不能な状態となるものに非ざるや否の点につき鑑定の申請をしている。然るに裁判所は之れら証拠調を却下し右弁護人の主張する様な状態であつたか否かについて審理をして居らない。然して原審記録を見るに本件混入猫イラズの分量は五瓦とされて居る。然るに証拠として押収されて居る猫イラズ入チユーブは三〇瓦入チユーブであり現在残つて居る分量は僅か数瓦に過ぎなく且つ他へ使用したり処分した事なく此の残量以外は総て本件に混入された分量である事は原審記録上明かとなつて居る。此れ等よりする時本件被告人の混入した猫イラズの分量は約二十五瓦位(新らしい本件チユーブ内全量より現在する残存分量を控除した分量)を五、六合位の飯中に混入したものである事は之を否定する事が出来ないものである。然して其の現場に於ける状態は原審記録により関係人の供述を見ると岸上輝政の警察員に対する供述調書中に (六)帰つて見ますと妻が茶の間でへんな臭がするのは何んだろうと云うので釜の中を見ますと変な臭がするので飯杓子でまぜて見るとうすい湯気の様なものが見えましたので不思議に思つて晩が来れば判ると思い妻に其の侭にして置けと云々、(八)其の時は夏時間の午後九時頃位でありました釜の中で青い光がよく判つたのであります。又岸上安夫の警察員に対する供述調書中 六、午後八時か九時頃に輝政さん宅へ行つて見ますと変な臭がして釜の中は青光つていました。猫イラズは夜青く光る話を聞いていましたので猫イラズだと感じた訳であります。又検察官に対する岸上シゲ子の供述調書中に(二)(前略)次男が家へ帰つて来ましたので私が子供に食事をして行こうと言つて表の入口から中へ入り茶の間の釜の布を取りました所「変な臭が致しますので(中略)中を見ておりますと湯気の様なものが三ケ所程から立つており、二ケ所程少し赤味をした所もありましたので之は何か毒の様なものを誰かが入れたのか知れないと思い云々、又長田房一の検察官に対する第一回供述調書中に(二)(前略)裏の茶の間に置いてあります三升位炊ける釜の中に残つている約三合余りの飯と思はれる半麦混入の飯の中に青い光を放つている何か判りませんが非常に鼻を強く刺戟する臭のものが一杯入つている事を見たのであります。其の他原審記録の各所に明記されて居る様に其の飯は強く鼻を刺戟する悪臭がし煙が立ちのぼり青い燐光まで放つて居たものであつた事は明かである。又今日より事実を見ると五、六合の残飯の中に二十五瓦位の猫イラズを混入してあつたのであるから相当な悪臭と刺戟とを有していたもので此の様な物は何人も例へ子供又は馬鹿でも人間が之を口に入れると言う様な事は到底出来難いもので、ネズミも食せぬ物であつたものである。若し然りとするならば「到底人が口にし得ない状態に置かれて居たもの」であつて此の状態に於て人を殺すと云う事は不能であると言わねばならぬ事になり被告人の本件殺人未遂の行為は不能犯を以つて論ぜなければならぬ結果となる。通常の場合に於ては人を欺して毒物を食せしめて死の結果を生ぜしめようとするのに此の様な悪臭性の毒物を使用すると云う様な事はあり得ないのであるが、本件被告人は当時癲癇性定期的異常気分症の状態にあり所謂心神耗弱の状態にあつたのであるので此の様な非常識の手段方法をしたのである。一般に於ても本来猫イラズによる殺人は自殺の場合は格別他殺の場合は殆んど目的を達した事が無い事は統計上明かな処であるが特に本件の様な分量方法によつては絶対に殺人の結果は生じ得ないものである。

茲に於て右本件に用いた猫イラズの分量又は化学反応並に人の口にする事が出来ない物であるか否を明かにする事は本件被告人の責任を定めるにつき極めて重要なる点であり被告人の有罪無罪に関する問題である。因つて弁護人は二回に亘り前記此の点に就いての鑑定の申請をしたのに原審は之れを却下して右事実につき何等の審理もせず本件混入猫イラズを漫然と五瓦と認定し実際の使用分量二十五瓦であるのを度外視して顧みなかつた次第である。因つて原審の右態度は犯罪の成立並に刑の量定に重要なる唯一の証拠を調べず採証の法則に違反して之を却下し此れ等の事実の審理をしなかつたもので審理不尽並に訴訟手続法違反の違法があり原判決は此の点に於て破棄を免れないものと確信する。

第二点原審判決は被告人に対し懲役一年の実刑を宣告して居るが此の原判決は刑の量定不当であるとして破棄せられる可く更に御庁に於て刑の執行猶予の御判決あらん事を求める。

原審記録上明かな通り被告人は本来素行性格に非難される様な者では無い真面目に農村の生活をしていたものであるが今次戦争に出征し貫通銃創に負ひ九死に一生を得て各地の病院を経て復員した者であるが此の戦傷の為め仕事も出来ず身体の自由を得られず特精神上の障害を受けて居たものであるが之れ等の気の毒な事情に同情する事無く隣家の岸上輝政特に同人の妻シゲ子の態度に堪えかねて本件の間違を起したものであるが本来被害者とは親族の間柄でもあり且つ部落四軒の山村であつて何をするにも此の四軒が互に助け合い共同生活をして居る始末本件後に於ても被告人は被害者方に謝罪し被害者も亦之を許し且つ従前に増した交際をして居る次第で雨降つて地かたまるの諺の通り従前の通り村民四軒が以前に勝る親密な平和な生活を致して居る今日更に被告人を懲役実刑に処し折角平和になつた此の部落に終生拭う事の出来ない傷を残す事は被告人の為め酷であると共に被害者にとつても望まない事であり特に被告人は充分改心して居る事は申す迄も無いが何分病人である為め家族親族を始め此の四軒の隣の者等が将来被告人の看護監督を申し合せて居る有様であり更に被告人は国家の為め不治の不具者となつて居り現に本件が被告人の癲癇性定期的異常気分症の状態に於て為されたものである事は原審鑑定人松倉量治の鑑定書に詳記の通りで現に被告人は右病気の為め治療を受けて居る次第此の病人此の精神耗弱状態に於て犯された被告人の責任に対し被告人を懲役二年の実刑に処する事は酷に失するものである被告人は国家より保護を受け得られる有資格者である事は別の法律により明かであるので多く述ぶる必要ないが本件被告人の此れ等の事実事情を度外視して被告人に懲役二年の実刑を言渡した原判決は其の刑の量定失当であり原判決は此の点に於て破棄を免れないものと確信する次第であります因つて破棄の上更に御庁に於て刑の執行猶予の御判決あらんことを切望する次第である。

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